FullSizeRender
於岩稲荷を祀っている「陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」は道を挟んではす向かいにある。

こんなに近くにあるんだから、元はひとつだったとか何か関係があるのかと思いきや何もないらしい。

元々ここに存在していたのは於岩稲荷田宮神社の方。田宮家の敷地内にあったお稲荷さんが信仰を集め、さらに歌舞伎の東海道四谷怪談で人気がでて神社になったとか。

では、陽運寺の方はというと、実は昭和になってからできたお寺。
…え、ちょっと待って、確か「お岩さんが使った御霊水」や「お岩さんが使った井戸」があったはず。

歴史を調べてみると、元々あった於岩稲荷田宮神社が明治時代に火事になり、中央区の方に遷座(神様を移すこと)したらしい。なぜ中央区かというと歌舞伎「東海道四谷怪談」を得意とした市川左團次から参拝しやすい歌舞伎座の近くにしてほしいと依頼があったからとか。

しかし、このためにここの名所であった於岩稲荷がなくなってしまった。(いや、「無くなった」とは断言できないところがあるので、それは後述します)
そして時は流れ空襲で焼けてしまったこの地に建ったのが陽運寺。

地元商店街の願いによるとも、商売上手な和尚さんによるとも、真偽のほどはわからないが、とにかく陽運寺が建てられ於岩稲荷を祀った。

その後、於岩稲荷田宮神社は再び四谷に戻ってきた(ただし中央区の方も残っている)。
おそらく移転している間にちゃっかり「我こそが於岩稲荷」と名乗っている陽運寺に腹をたて戻ってきたのではないかと想像する。

そう思うと、道を隔てて静かに佇んでいるように見える二つの於岩稲荷の間にはバチバチと火花が散っているように見えてくる。

たぶん同じ町内会だと思うけど仲良くやれているんだろうか…怖い…

などと気になって調べたところ、なんと、電話でそれぞれの住職さんと神主さんに聞いた人のブログがあった。こちら↓

このブログの調査によると、神社の方は「四谷の神社は空襲で焼け、疎開しているうちにお寺が建っているから慌てて戻った」と主張している。


あれ?明治時代に火災で中央区に移転した話は?と思って調べたら、神社は移転したが、四谷にも小さな祠は残されていたらしいから焼けたのはその祠のことなのかな?

 それにしても、神様ってそんなにあっちに行ったりこっちに戻ったり分裂したりしていいもんなんだろうか?今、於岩稲荷田宮神社は中央区と四谷にそれぞれあるが、神様はどっちにいるんだろう。

うーむ。神社や寺のことはよくわからないが、言ったもん勝ち、やったもん勝ちの世界なんだろうか?

戦後のドサクサで「無くなったなら作っちゃえ」とばかりに「於岩稲荷」を名乗って寺を建てる方もどうかと思うが、移転したはずの神社を「いやいや四谷にだって祠は残ってるんですー」と戻ってくるというのもいかがな話かという気がしないでもない。

まあ、とくに裁判沙汰になってるという話もないようなので、そういう世界なのかもしれない。